PERSONAL PROFILE /

KICHITARO吉太郎

仕事も、人生も。無理に飾らず、よく笑って、いい時間を精一杯楽しめたらと思っています。

PROFILE →
吉太郎
01 / ABOUT

自然体で、誠実に。

京都で会社を経営しています。仕事にはしっかり向き合いつつ、仕事だけが人生ではないとも思っています。

美味しいものを食べたり、知らない場所へ出かけたり、気の合う人とくだらないことで笑ったり。そんな日常の積み重ねを大切にしています。

穏やかさと好奇心、そして責任感。 この3つは、自分らしさとして大事にしているところです。

BIRTH1965年生まれ
AREA京都
WORK会社経営
STYLE穏やか・好奇心旺盛
02 / LIFE

好きな時間。

01

美味しいもの

食事は、味だけでなく一緒に吸う空気も大事。鴨川の気を吸いながらのモーニングが好きです。

02

旅・街歩き

知らない景色、建物、文化。予定を詰めすぎず、寄り道しながら楽しみたいタイプです。

03

よく笑うこと

どんなに苦しい時でもこれまで続けてきた努力が報われないはずがない。無理やりでも笑う事です。

「鴨川を毎朝歩くと、なんだか自然に元気になっている。」

THAT'S THE KIND OF RELATIONSHIP I VALUE.
03 / VALUES

大切にしたいこと。

吉太郎の名を未来に引き継いで行くこと。
愛知県知多郡阿久比町。徳川家康の母於大の方の城下町で菓子吉と親しまれ菓子の商いを繁盛させた我が先祖吉太郎。

必死の想いで商いをつないだおばあちゃん。
夫が戦死後家を追い出された後も着物を作り(和裁)京都の呉服問屋に卸し商いを続け一人娘(私の母)を育て上げた。その魂を忘れない。

継続は力なり。
どれだけ試練があっても歯を食いしばり真面目に努力を続ければ「吉」(幸せ)が味方してくれる。弊社は愛知県知多郡阿久比町に登記されております。この地は徳川家康生母「於大の方」ゆかりの坂部城の城下町です。刈谷・緒川城主水野忠政の娘として出生した於大の方は、14歳のとき、岡崎城主松平広忠に嫁ぎ翌年竹千代(後の家康)を出生。その後水野家が今川家に離反したため松平家から政略的に離別させられ、坂部(阿久比)城主久松俊勝に再嫁します。於大の方は、洞雲院へ参内し、その後15年間阿久比の地で暮らしました。竹千代が織田家の人質となったときは於大の方みずから信長のもとに行き命乞いをしたと伝わります。また、人質交換により駿府に移された竹千代に音信を絶やすことなく、心のこもる慰問の品を送り続け、少年期の家康の心の支えとなりました。また、家康が今川氏配下の武将として尾張に出陣のおり、坂部城に立ち寄り「於大の方」と再会を果たしたと伝えられています。慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦で家康が勝利し天下の実権を握った2年後、慶長7(1602)年8月28日京都伏見城で没しました。なお遺髪は阿久比洞雲院の墓所に分納されています。弊社の祖先と於大の方を結びつけるのが「綿」と「菓子」です。当店(吉太郎商店)の祖先、鈴村吉太郎はこの地、阿久比町坂部城の城街道にて菓子の卸業で繁盛し、於大の方へその銘菓を献上していたと伝え聞きます。そのお陰で菓子の商いは大いに繁盛し、吉太郎は「菓子吉」と呼ばれこの地に名を残す事となったのです。但し菓子の商いは後継者が続かずに絶える事となります。この菓子に代わるビジネスが和裁だったのです。綿が日本に初めて伝わったのは三河国(愛知県)であるという話は有名でまたそれを広めたのは於大の方だったのです。三河木綿や知多木綿が有名なのは、於大の方がこの地で綿の栽培を広めたおかげなのです。鈴村家を継いだ当方の祖母(鈴村アキ子)は於大の方のおかげで盛んになった木綿ビジネスを生業としたのです。アキ子は着物和服和裁に長け自身で製作した着物は遠く京都の呉服商からも求められ定期的に納めておりました。こうして吉太郎商店の先人達が培った商いを形を変えながら祖母(アキ子)、父(英二)が承継し、そして末裔の私(直己)が現在商店を引き継いでおります。この”吉”は日本語で「幸運」を意味します。当店の商品をご注文頂く事により幸運を皆様と分かち合おうという意味を込めております。

吉太郎のプロフィール写真
05 / CONTACT

Let's walk together.

商いを介し、一時の人生を歩きましょう。ヒマラヤネットをよろしく

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